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中古ヘルストロン・パワーヘルスなど各種電位治療器販売 SOSネットワーク本店

SOSネットワーク発足のきっかけ 続編

1. 独立当初の低迷期

起業当初は中古販売と言ってもヘルストロンだけでした。それまでは新品販売の体験場の担当でしたので、とりあえず安くて借りられる空き店舗を探していたところ、10年前くらいにお世話になった○○さんが店舗を持っている事がわかり、事情を話すと安い家賃で借りることができました。

 

その店舗に中古ヘルストロンを置き、無料で体験してもらおうと思いました。また、地方紙にも3行広告でヘルストロン買取広告を出すことにしました。その頃は全国では中古ヘルストロンの販売、買取は八王子にある○○健康機器販売しかなかったので、思ったより簡単に買取の依頼がありました。

これと並行して、この頃、流行り始めたインターネットのホームページを作ろうと思い、ホームページ・ビルダーの参考書を片手に手作りでホームページを作り始めました。

店舗では近所の人にヘルストロンを体験してもらい、徐々に少しずつ人数が増えていきましたが、個人営業ですので、一日20人くらいの来店でした。中古品で値段が安いといっても、そう簡単に売れるはずはありません。

 

低迷して悩んでいた頃、一通のメールが来たのです。九州福岡の近くの人で、ヘルストロンの9000の購入を検討しているので返事が欲しいとの内容でした。9000はというとヘルストロンY9000赤柄が一台だけありましたので、その商品の写真をデジカメで何枚か撮り、メールに添付して送りました。その後、何回かのメール交換の後、電話を頂き、ご注文を頂きました。

しかし、代引き決済とかクレジット決済とかは未だ、契約していなかったので、仕方がなく商品を先に送り、後で指定口座に振り込んでもらうようにしました。電話とメールだけで会ったこともない人に商品を送る?大丈夫か?と思いましたが、不安より私のホームページを見て、注文をくれたことが嬉しくて、先に商品を送りました。

送った後、代金は振り込んでくるのか?ダメでもしょうがないか?と考えていましたが、3日後、電話がありました。「良い商品が届きました。気に入りました。本日、振り込みます。」

 

半ば、諦めかけていたのですが、この時は本当に感激しました。誠意を尽くせば、必ず誰かが分かってくれる。
中古販売に迷いが生じていたこの頃に、一筋の光が見えた気がしたのです。

2. 天神橋筋商店街での最初の展示会

ある時、SOSネットワーク発足のきっかけを読んだというI氏から買取部門で協力したいという申し出があり、それ以来、中古機器の入荷がどんどん、入るようになりました。

一か月ほどすると機器の在庫数が増え、和歌山だけの販売では中々、台数が伸びないので大阪で場所を借りて展示会を開いてみては?と考えました。

 

年明けから会場を探したところ、天神橋筋3丁目の商店街に10坪ほどの空き店舗を見つけました。この小さな空き店舗が初めての中古ヘルストロン展示会場となったのです。2日間の日程で開催日を決め、「中古ヘルストロン格安展示会」という内容でサンケイ新聞に広告を出しました。

 

開催日の朝早く、椅子式ヘルストロン13台、寝式5台を知合いから借りたトラックで運びこみました。店舗に機器を並べ終わったところ、当日はかなり冷え込んだためか、風邪気味で熱っぽくなり、咳が出て止まりません。これじゃ、来店対応ができない。どうしようか?と思ったとき、たまたま隣の店が薬局だったのです。そこで栄養ドリンク3本を一気に飲み、これで何とかなる。と思いながらお客様を待ちました。

 

1時間くらい経つと、自転車に乗ったおばちゃんがやってきて、「中古って、あったんや!もっと早く知っていたら高い新品、買わなくてよかったのに。」と言って帰られました。その後、その方から聞いたという人が3人ほど来られ、ヘルストロンを3人共、買っていただきました。これが最初の展示会での初売りでした。

 

この時、聞いた「もっと早く知っていたら・・・」というお客様の言葉が、その後の大阪、九州、名古屋、東京など全国的な展示会開催の原動力となり、今も胸に刻まれております。

3. 社員A君の場合

展示会は天神橋筋3丁目で2回、開催した後、尼崎駅前でも開催しました。しかし、トラックへの積み下ろしはかなり重労働でしたし、雨の日は積荷をシートで覆っていても道中でめくれてしまいます。そこで奮発して中古ですが電動ゲートが付いている3トンのアルミトラックを買うことにしました。

 

天満橋の大阪OMMビルで展示会を開くことになり、トラック満杯の荷物の積み下ろしで人手が必要になりましたので、何人かの若い人をアルバイトに来てもらいました。その中の一人が現在の社員A君なのです。

その頃、彼は未だ高校生でしたので、土日だけ来てもらっていました。仕事はトラックからの荷物の積み下ろしがほとんどでしたが、6月も過ぎるとトラックの中の暑さは半端な物ではなかったと思います。しかし、彼は若いが文句ひとつ言わず、よく頑張っていると報告されておりました。

 

彼が卒業が近くなった頃、私に言いました。

A君: 「卒業したらSOSネットワークで働きたいです。」
私:  「こんな小さな会社でも、いいんか?」
A君: 「もう、担任には話しました。SOSネットワークで頑張って、将来、この高校に募集広告を出したいと言ってきました。」

 

彼は現在、東京店にて勤務して、若手社員の指導に当たりながらSOSを引っ張っていく原動力ともなっております。

4. 博多駅前 福岡交通センタービルにて展示会開催

大阪を中心に何回か展示会をしているうちに、HPを見たお客様から「ぜひ、九州で展示会を」というご要望がたくさん出てきました。博多で展示会を。博多まで場所を探しに行くわけにもいかないので、Webで貸し展示会場を探してみました。

すると、博多駅の隣に福岡交通センタービルがあり、その9階が貸ホールとなっております。博多駅の隣で場所としては分かりやすいので、現地に行かずWebの図面だけ見て、日程を決め2日間を申し込みました。

 

展示会開催日の前日、泉大津からトラックごとフェリーに乗り、門司港には翌朝6時に着きました。陸路を約1時間ほど走ると博多駅でした。初めて見るセンタービルでしたが、ビル裏口からトラック丸ごと入る大きなエレベーターがありましたので、9階でも荷物の搬入は楽にできました。何しろ現地の会場は無謀にも見るのも初めてですから、どんな場所かずっと気になっていました。9階に着いて見ると思ったより、広く明るい会場なので安心しました。

 

初めての博多展示会でしたが、大したトラブルもなく売上もまあまあだったので、初日が終わった後、有名な中洲に行こうという事になりました。屋台でラーメンを食べた後、スナックへ。店のママさんは愛想がよく、九州弁で相手をしてくれ、また、九州へ来たときはぜひ、連絡をとのことでした。

 

それから、約半年ほどたった頃、2回目の博多展示会が決まりました。

2回目ですから、機器の搬入はわりとスムーズに運び、会場の中で展示品のセッティングをしていました。
準備中ですが、何か会場の外からガヤガヤと騒がしい声がしているのです。扉の隙間から見てみると、10時開場までまだ1時間もあるのにお客様が10人くらい並んでいるのです。あまり、待ってもらうのも申し訳ないので、30分、開場を早めました。

 

それからはすごかったです。スタッフ全員が昼食も摂るヒマもなく、やっと一息ついた時が、午後の3時でした。「お昼にしよう。」と言った時、「差し入れにおにぎりが届いています。」「なぜ?誰から?」・・・「中洲のママさんからです。」

大きな皿に一口サイズのおにぎりとおカズがぎっしり、みんなで頂きました。こんなにも人情厚い、美味しいおにぎりは初めてでした。


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